過剰飲酒は、全身の臓器障害を引き起こし、健康を損ねる。過剰飲酒は肝臓障害、膵臓障害、消化管疾患、高血圧、糖尿病、脂質異常、高尿酸血症、筋肉障害、神経障害、精神病、ホルモン異常、皮膚疾患、発癌、精神障害の原因となる。英国の医師、Thomas Fullerは"Bacchus hath drowned more men than Neptune."と書き残している。「酒の神Bacchusは海の神Neptuneより、多くの人間を溺れさせた。」と直訳できるが、アルコールに溺れ命を落とした人の数は多いという意味である。しかし、飲酒には健康増進作用もあるとされる。室町時代の「餅酒」や江戸時代の「百家説林」といった書物には、飲酒は、疲れをとる、憂鬱をはらす、寒さを払う、人間関係を良くする、病気に効く、寿命を延ばすなどと記されているが、現代でも飲酒の効能がほぼ同じ視点から議論されている。1981年にMarmotらは1422人の10年以上にわたる観察で、過剰飲酒は寿命を縮めるが、一日34グラム未満の飲酒は寿命を長くすることを示した。多くの追試がこの所見を確認し、2005年には、本邦でも、20グラム程度までの飲酒が寿命を長くすることが示された。その背景として、適度な飲酒が種々の疾患の発症を予防する可能性が想定されている。
Mukamalらは、一日12グラム程度の飲酒に心血管系イベント予防効果があるとしている。この効能は、飲酒によるHDLコレステロール増加作用やインスリン抵抗性改善作用に因るものと想定されている。前者は動脈硬化の進展を防ぎ、後者は凝固系に作用し、血管内クロットの形成を予防する。また、ワインに含まれるポリフェノールや種々の挟雑物も着目されている。前者は抗酸化作用を発揮し、LDLコレステロールの酸化抑制を介し、血管内プラーク形成を阻害する。後者の中には血管拡張作用を有するものがあり、狭窄した冠動脈の完全閉塞を予防する。飲酒と糖尿病の関係も検討されている。近年、15の研究結果を併せ369,862 例を平均12年追跡したと見做されるメタアナリシスが、一日約36グラムまでの飲酒に糖尿病発症予防効果があると結論した。別の研究で示された、適度な飲酒が血中のアディポネクチンを上昇させるという事実が、飲酒のインスリン抵抗性改善効果や糖尿病予防効果の機序の一部を説明する可能性がある。
飲酒の健康に対する二面性の議論は、「過剰飲酒は健康を損ねるが、適度な飲酒は健康を増進する可能性がある。」という共通認識の上に成り立つ。しかし、その「適度な飲酒」の定義は難しい。米国では、エタノール換算で、約12グラム程度の飲酒(ビール300ml程度)をone drinkと定義しているが、同国の農務省は、男性で 一日two drinksまで、女性で一日one drinkまでを適度な飲酒としている。しかし、研究者により適度な飲酒は one drinkからfour drinksまで様々である。本邦では、厚生労働省が、エタノール換算で一日20グラムまでの飲酒(ビール500ml程度)を、適正飲酒と定めたが、やはり、色々な定義が共存する。一方、各個人のエタノール代謝や飲酒による臓器障害に対する感受性は、性差、アルコール代謝酵素の遺伝子の人種差や個人差、個人の解剖学的な違い(胃の形状など)、罹患している疾病の違い、個人の生活習慣の違いなどを背景にかなりの多様性が存在する。万人共通の適正飲酒を定義するのは難しいと考える。飲酒の健康増進作用は飲酒パターンにも影響を受ける。上述のMukamal らは、飲酒の健康増進作用は週3-4回以上の飲酒で発揮されるとしている。平均すると一日当たりの飲酒量が健康増進域でも、大量に飲酒する日と飲酒しない日が混在すると、飲酒による健康増進作用は期待できないようである。